「全国の高校にコンドームの自販機を!」(by共和国大統領)

2日ほど過ぎたニュースで、日本でも記事になったようですが、一応紹介。

全高校にコンドームをとシラク大統領
Jacques Chirac veut des préservatifs dans les lycées

Libération/Reuter jeudi 01 décembre 2005

シラク大統領は、フランスで蔓延を続けるエイズHIV対策の一環として、各学校に1個20セントでコンドームを提供する自動販売機を設置させる意向。

世界エイズデーを前に、大統領は水曜日、教育省でジル・ド・ロビアン教育相とグザヴィエ・ベルトラン健康相もまじえたエイズ対策会議の座長を務めた。
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[会議に出席したアソシーエションAidesの会長の]クリスチャン・サウー氏が会議後明らかにしたところによると「大統領は、健康相に対し、コンドーム製造メーカーと自販機メーカーの責任者を集め、すべての学校に設置する方法を検討するように指示。」コンドームの値段は「大統領自身が1個20セントと定めた」という。

PARIS - Jacques Chirac souhaite que les établissements scolaires s'équipent de distributeurs de préservatifs à 20 centimes l'unité dans le cadre de la lutte contre le sida, virus qui progresse en France.

A la veille de la Journée mondiale de lutte contre le sida, le chef de l'Etat a présidé mercredi une réunion sur la prévention de la maladie dans l'Education nationale aux côtés des ministres Gilles de Robien (Education) et Xavier Bertrand (Santé).
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"Le président a demandé au ministre de la Santé de réunir les fabricants de préservatifs et de distributeurs de préservatifs pour voir comment on pourrait en mettre dans tous les établissement scolaires", a précisé Christian Saout à l'issue de la réunion. Des préservatifs "à un prix qu'il a fixé lui-même, 20 centimes d'euro".

1個20セントのコンドームで、シラクの人気回復なるか。受益者がリセアンでは直接票にはならないが。たとえポピュリズムでもこういうのは明るくていいと思います。

確か最近、学校の甘味飲料とか駄菓子の自販機を、肥満防止対策のためにどうかしろとか、中身を果物などに変えろとかいう話があったから、チョコバーなんかの撤去された部分に入れておくとちょうどいいし、生徒も買いやすいのではないかと思う。「間食より心おきなくセイフセックスを」でシェイプアップにもいい。学校ごと、地方ごとの消費統計が発表されると面白いのだけど。

もしかして、親が子供に、安いから学校で買ってこいと頼んだりして。もっとも結婚しているカップルだと普通はピルだから、母親が娘に頼むとき「これパパに内緒ね...」とか。街の薬局の自販機でいくらぐらいするんだか知らないので、通販のカタログで見てみると、一番安いのがさらに30%割引きになって7ユーロ/24個(約29セント/個)と出ているから、お得なのは確か。それにこの辺の年代はタバコの消費量がすごいからタバコ1本に使う金に比べたら、1回分20セントが高いとはだれにも言わせないはず。タバコと違って、一日半ダース消費するやつなんていないだろうし...あ、これは男子生徒を念頭においての個人的推定。

バンリュウ騒動と性

時節がらなんでもバンリュウの騒動に話がつながっていくが、実はこのつながりはちょっと話がややこしい。イスラム教との関係を念頭においたとき、郊外暴力の問題に宗教的側面はほとんどないというのは最初から繰り返している私の持論だが、実は、宗教と無関係ではない性の問題、男女のセグレゲーションに代表されるような性の文化的抑圧の問題は要因としてあるのではないかとずっと思っている。十代の、あるいは未婚の若者の性生活の抑圧につては、女性たちの証言がいろいろあるし、バンリュウの若者たちがブログなどで書く文章を見るとどうしてもそこに抑圧と欲望の間の矛盾し内向したエネルギーのようなものを感じる。これは車に火をつけたり、機動隊に石を投げるグループになぜ女性がいないのかということともつながる。私のイメージの中で、68年と最も大きく違うのはここだ。猫屋さんに教えてもらったスタンパ紙のインタビューでネグリは、性の抑圧や男女の隔離は先入観だというように話しているが、私はまだふに落ちない。少し調べようとしたが、ライヒ主義はもうフランスでも評判悪いし、問題がデリケートなのであまり扱う人もない(これはkmiuraさんが最近とりあげた話題ともつながっていく)。私もこれ以上不用意なことはいえないが、直感に忠実にこのくらいまではこの機会にメモ。

自己コメント再録

猫屋さんの↓コメントに触発されて書いた自己コメントが長すぎるので、こちらに移動します。誤字、テニヲハの変なとこだけ直しました。また注を加えました。

『前にイスラム・ヴェールがらみで近いところまで触れたのですが(下記の注1参照)、フランスでの移民同化の鍵はつまるところセックスなのだと思います(統計的に出るのは mariage mixte ですが)。▼フランスのリベルテは18世紀以来ずっと性におけるそれ(時にはリベルティナージュ)と対になっていて、68年でその価値観が最終的に確認される(乱暴なことをいえばライシテもその流れの中にある)。そして今、文化的・政治的ヘゲモニーを握っているのはその価値観の確認行為の洗礼を受けた人々。そうした自由の象徴としてのセックスにさらにエロティシズム・美という回路を通して価値が付与されているゆえに商業化もありうるわけですが、ほとんどナショナルアイデンティティともいえるセックスをめぐるこうした価値観を承認し、あるいはそれを運用する形で、人々は同化していく。▼だから他の文化的要因でこれに乗れないどころか、乗れないのはいいとして、二つの価値観の間で引き裂かれているグループは辛いと思います。先祖代々のフランス人でも、エロスと上手につきあうモードを学習するために、思春期のイニシエーションを飛び越えなければいけない。だけどそのために「感情教育」の伝統というのがあって、ネグリが紹介する映画 l'Esquive に出てくるようにマリヴォーを学校で読む・上演するのも一つの形ですが、映画やsitcomなんかと実地のインタラクションでえっちらおっちら覚えていく。それでもそこで落ちこぼれると type coincé とかなんとか20歳過ぎても馬鹿にされるのに、その学習の回路に入れないグループは辛い。▼以前に Ni Putes Ni Soumises をめぐる議論で、「この運動の担い手となっている、あるいはこの運動が救おうとしている女性たちがエスニックコミュニティの男女の権力関係の中で劣位にあって抑圧されているのはたしかなのだが、逆に、運動がマスコミの寵児となった今、シテの中のミクロの視点での抑圧関係を強調しすぎることは、そこにいる男たちのステレオタイプを作り彼らに刻印を押すことで、逆に社会的なマクロな視点からいうと、男たちを彼女たちの劣位の位置の抑圧の中にさらす危険があるのではないか」という意見がありました*1。たしかにそうで、いやはや男は辛いよです。▼そして二つの価値観の中で「禁止だから萌え」というのはかなり人間の精神を引き裂きやっぱり辛いです。シテの若者たちの掲示板を見ていたら、「妹のストリングがどうだとかシテの外の男ができたとかどうとかでぐだぐだいいながら、お前自身がブロンドの女を想像しながらせっせとマスターベションしてるんじゃないか」というような類のほとんど自虐的な話が続いて、かなり痛ましかったです。そして彼らは猫屋さんがあげた様々な要因からシテのグループの中で性を充足させられない。自己抑圧を解放してナイトクラブに行けば今度は入り口ではねられる。こうしたうっくつ感がどこかで爆発しなかったらそれこそおかしい。▼ここで唐突なのですが、彼らとわれわれににとって必要なのは、フーコーではなくマルクーゼではないかという気がどうしてもします。別にバンリュウとの関係でなくても、ブッシュのアメリカ(=すなわちコロンバニ@ル・モンドのいうところの「経済上の自由と道徳上の監視を混合したモデル」、そして私が思うにサルコジモデルそのもの)がどんどんと押し寄せてくる社会全体の中で、ドンキホーテ・マルクーゼ的な鼓舞が、システムの狡知を用心深く教えてくれるフーコーの前に、そもそも必要ではないかという気がしばらく前からしています(その鼓舞の赴くところを身体を持って実践すべく、ブログなどという知的・分析的活動を休止していたわけですが(笑))。フーコーと同じく人をペシミニズムに陥れるというブルデューの観察には、私はファタリティよりも自己意識の覚醒の契機が見えて元気がでるのですが、どうもフーコーだとその先が行きません...(途中から議論の発端と関係ないほとんど独り言...』(2005/12/03 12:09)

*1:こうした批判が出る前、専ら女性の側への抑圧に焦点をあてて書いた私の記事は http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20040717#p3
http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20040717#p4
あたり。