バンリュウ反乱。背後に組識も操作もなし(by「総合情報局」)

「都市暴動は組織されたものでも扇動操作されたものでもない」と総合情報局が報告書。
Les violences urbaines n'étaient ni organisées ni manipulées, selon un rapport des RG

AP | 07.12.05 | 08:44

バンリュウの都市暴動は「組識されたものではなく」また、イスラム原理主義者はその勃発に「いかなる役割も」演じていないと、総合情報局が秘密報告書で確認していることが、水曜朝の「パリジャン」紙に掲載された報告の抜粋によって明らかになった。
PARIS (AP) -- Les violences urbaines dans les banlieues n'étaient "pas organisées" et les islamistes n'ont eu "aucun rôle" dans leur déclenchement, affirme un rapport confidentiel des Renseignements généraux, dont des extraits sont publiés mercredi dans "Le Parisien/Aujourd'hui en France".

Renseignements Généraux は国内の治安関係を中心に情報を収集・分析する内務省の機関で国家警察の組識の中に属している。「パリジャン」の無料ネット版には記事が掲載されていないので、以下、上のAP / NouvelObs版の記事にに引用されている部分を抜粋。

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「同時的組織的な蜂起説を支持するいかなる扇動操作も確認できない。」「シテの中での連帯的行動は観察できない。(...)若者たちは出身カルチエへの帰属感によって自己アイディンティを規定しており、他の町の若者たちと自分たちを同一視しない。」イスム主義者は「暴動のきっかけにもひろがりにもいかなる役割も」演じていない。逆に「イスラム主義者たちは、アマルガム視を避けるため、早急に平穏状態に戻らせたがっていた。」フランスは「指導者も政治的要求もない、シテにおける一定の空間的時間的広がりをもった一種の民衆反乱を経験した。」「シテの若者たちは、必ずしも民族的あるいは地理的な出自だけによるのではなく、フランス社会から排除されているというその社会的境遇に基づく強い自己アインデンティティの意識をともなっている。」「問題地域の若者たちは、その貧困、肌の色、名前によって不利をこうむっていると感じている。シテで暴動を働いた者たちに共通しているのは、フランス社会の中での将来への見通し、働ければ報われるという感覚の不在である。」「フランスは、イスラム主義と宗教テロの台頭を懸念するあまり、バンリュウの複雑な問題を無視してきた。」シテは、「民族的な色合いをもった都市ゲットー」、あらゆる問題が集積する場所となった−−住民の社会的多様性の欠如、「一夫多妻家族」「子だくさんの片親家族」「子供たちの学校からの脱落」「治安悪化の強い感覚」。「この先、あらゆる偶発的な新たな事件が全般的な暴力の燃え上がりを引き起こす危険性がある。」大みそかの夜は「特に危険をはらんでいる」。ただし、このばあいの暴力は「祭の論理 logique festive」によるものであり「不正と拒絶に対する感情」の現われによるものではないにせよ。
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この報告者の述べる観察は結局のところ、現場の社会学者たちのものと基本的に同じであり、その適切さについて専門家筋から異論はあまり出ないはずであるが、別方面では問題がある。それは、内務大臣その人が11月3日に、この暴動は「自発的なものではない...完全に組識されたものだ Rien de spontané ... parfaitement organisées」と述べていることだ(たとえば11月4日のNouvelObsの記事 SEINE-SAINT-DENIS "Rien de spontané",selon Sarkozy )。総合情報局は内務省の管轄だから、内務大臣は皮肉なことに身内の仕事で、自らが政治宣伝に使った陰謀説を否定されたことになる。このことからインティ系のメディアでは上のニュースを「総合情報局の報告、内務大臣を否定」というようなタイトルで報道したところもあった。

内務大臣は今夜(7日水曜日)のFrance 3のニュースに呼ばれ−−これのときの主な話題は海外県のアンティル諸島の訪問が延期になったことで、これはこれでまたちょっとしたエピソード−−て、上の件についてもキャスターから追求されたが、「報告書を頼んだのは私で全文は私のところにある」とすごみながら自説を曲げず、結局は押し問答に終った。このニュースの中ですごいと思ったのは、総合情報局内の労組の代表がインタビューされて、上で紹介されたような「秘密レポート」の中身をペラペラしゃべり確認していたこと。

上のレポートは、社会学者の観察としても、やや左派よりの立場をとる人たちの見解にかなり近い。この騒動を「民族・宗教蜂起」のような文明の衝突的見方で特徴づけるのは、アメリカのメディアやフランスでは極右に属する人々。最近ではフィンケルクロートがこの見解を披露し物議をかもした。そしてサルコジ氏もはっきりと言質をとられないようにしながらこうした見方に世論を誘導しようとした。またこれとは別に、この騒動の原因から、社会問題の側面を弱め、個人の責任、家庭教育の問題、現代文化における権威の価値の低下に還元し、若者たちの暴力の中の政治的な意味合いを極力否定して、虚無的で不合理な暴力と特徴づけようとする傾向が保守派にはある。これが25日から紹介しているリベラシオンの座談会の最初のテーマ「政治的運動か虚無的反抗か」での対立にも関係し、左右の見方の綱引きの場である。そして、上の総合情報局の報告書は、一義的には、都市問題、社会問題の側面、それが差別の問題とからまって生じる若者たちの排斥感をまず基本として確認し、他の問題を随伴する個々の現象としてあげている点で左派の見方に近い。

しかもレポートの中でまた驚いたのは「民衆反乱 révolte populaire」という語がはっきり使われていること。左派的感性をもった研究者でもこの語を使うのを躊躇するような気配があり、これはむしろ左派の中でもさらに左寄りの政治活動家のとる見解に近い。「民衆反乱」という表現を使えば、たとえそこに政治的なはっきりした方向がなくても、革命的なイメージが付与され、その背後にある大義を想像させ、一定の層の人々にある種のシンパシーを与える。そうした政治化を避けるために、上で述べたように、文明の衝突派でない保守派はこれを、単なる盲目的な暴動として規定するレトリックを用いる。そしてそのレトリックが支配的になるなかで「民衆反乱」などという物騒なことばは、左派の中でもなかなか使えない雰囲気があった(このあたりの綱引きはやはり上に紹介したリベラシオンの座談会を参照)。その語をはっきりと使い切ったレポートはいったいどういう人が書いたのだろうか。しかも、テロ対策への執着により都市・社会問題が無視されていたというような現政権のこれまでの政策への批判のおまけつきで。

現場を調査している人間のプロフェッショナルな仕事のたまものということなのだろうが、内務大臣のテーゼを否定するような報告書が、しかもあからさまなリークを伴って、こうして出てくるというのは、いったいこの組識の中で何が起っているのか興味深い話ではある。