F-POP祭出演者たちのP2P交換合法化反対宣言−−後味の悪い土曜日の夜

fenestrae2006-01-15


とんがった頭をすこしまるくしようと思って土曜日の夜に France 2 の大型歌謡ショー Fête de la chanson française を見た。今年で2回目。司会を務めるダニエラ・ロンブロゾのファン−−正確に言うと、彼女がニュース専門局のLCIで文化欄を担当していたときのファン−−なので、彼女が France 2 に引き抜かれて歌番組の司会をするようになってからときどきこの局のこの手の番組を見る。

それなりに楽しめた。F−ポップの悲惨と希望の光を堪能させてくれる。

バリバリの現役時代から音程の怪しかったのが70歳を越えてますますそれが怪しくなったジョルジュ・ムスタキと、元来歌手でなくもともと音程なんて気にしないのが気にしなくてもCDが売れるのでますます気にしなくなったサンドリーヌ・キベルランがデュオで「メテック」を歌いきるという一期一会のシーンに感動したり、猫屋さんもお勧めのラファエル君を見ながらこの30歳の少年とTVごしに眼があうとなぜか胸がドキドキしてしまうというおよそ私のデフォルトの性的オリエンテーションからは未知の恐ろしい体験−−実はフロイトまでも至らない単純な説明があって、私がひそかに憎からず思っている知り合いの女性に酷似しているからなのだが、それにしてもである−−を確認したり、いろいろおまけがあった。

しかし、最後のどでかいおまけでずっこけた。

番組のかなり終りのほうで、出演の歌手たちがせいぞろしているので、「あ、何か言うぞ」と思ったら、案の条、代表がメッセージを読み上げはじめた。何のメッセージかすぐ分かり、分かったとたん、丸くなっていた頭がまたとんがってしまった。

年末にひょうたんからこまで、音楽ファイルのP2P交換をグローバル・ライセン料と引き換えに許可する法案が下院で通ってしまったことへの反対宣言だ。

この法案の通過はかなり衝撃的だったので、この事件だけをとらえて、フランスがP2Pによる音楽ファイル交換を積極的に合法化する政策を進めそれが実現されたかのようなニュアンスでとりあげられたりしたが、全体の流れを見たときの現実は逆だ。つまり、年末に審議されていたのは、デジタル化された音楽ファイルのコピーの可能性を配信者の手で厳密に管理し、いっさいの交換をネット上で監視し、交換を可能にするソフトや暗号解除の情報の交換をすべて非合法にして、違反者を懲役や莫大な罰金で罰しようという一連の法律だった。これはEU指令の国内法化に便乗する形で提案された。これを阻止するために各種の団体がネット上でキャンペーンをはり、リベラシオン紙もがんばった。これに対し、政府は世論の波風を立てずに法律を通すためにクリスマス休暇の時期で議員の出席率が少ないときを狙いこれを審議させた。ところが驚くべきことに、この、出席議員が少ないうちに審議しようという作戦が裏目に出、身内の与党からの造反議員がいたため、12月21日の夜半に30 対 28という僅差で、法案を骨抜きされただけでなく、逆の政策へ向かわせる修正案が通ってしまった。これが「フランスはP2Pファイル交換を合法化」の背景だ。

怒り狂ったのはドヌデュー=ド=ヴァブル文化大臣だ。年末にかたをつけるという方針だったのが、年末に変な方向にかたがついてしまったので、急ぐ必要はないという方針に変え、もう一度審議をやり直させて最初の案の骨子のまま通すと宣言している。そして法案再審議のためにどの程度手直しすればよいかというのが与党内でもめていて、修正案が決まったと発表されたのが今日日曜日。そんなコンテクストの中に昨日放送された番組中の、歌手たちの宣言書読みはある。

歌手たち、そして多くのばあい作詞・作曲者でもある彼ら彼女ら、ひっくるめて音楽家たちの全体の中に、P2P交換が合法化されれば自らに不利益になるとする考えを持つものがいるのは当然だ。

が、問題は、音楽家の中でもこれについては意見がわかれていることだ。グローバル・ライセンによるP2P交換を是とする音楽家たちは、「L'Alliance Public-Artistes リスナー・アーティスト同盟」なる団体を推し、13,500人以上のアーティストが賛成の署名をしている。今回のP2P交換許容の修正案に賛成しないまでも、政府が準備していた(る)規制案に対しては、音楽の自由な発展を殺すものという考えから、強い反対を表明する人が多い*1。昨年の2月にはNouvelObsの呼びかけに対して、かなり名を知られた歌手たちも「私も違法ダウンロードをした犯罪者です」という宣言に署名している。

用意していた規制案への、音楽家を含むこうした猛反発と、まさかのP2P交換合法化法案の通過のパンチをくらった政府とメジャーレコード会社(ユニヴァーサル、ソニー・BMG、EMI、ワーナー)は法案通過の翌日からすぐに巻き返しをはかった。メジャーと契約を結ぶ有名どころの歌手たちも22日に反対声明を出している

ここには、職業音楽家の世界の中の持つもの持たざるものを分ける、悲しいほど明らかでそして自然な図式がある。現在のメジャー支配の中で不遇をかこっていると感じる、そしてネットによる自由な交換が実現された世界に自分の新たな可能性を見出す者は、その実現にリスナーとともに積極的な態度を見せ、メジャーな配信者のコントロールする世界ですでに十分な利益を得ている者たちは、そうした配信者とともに現在の権益が脅かされることに抵抗する(もちろん芸術家の行動である以上、上のような経済的な利益による説明は一面的で、そこには象徴的な利益の軸があり、その2つの軸の上での位置関係がさまざまに異なる立場を生み、また同じ人間でも、象徴的利益と経済的利益の獲得の具合の変化によって、そのスタンスはどんどんと変化する−−あり体な例でいえばただで配っていたものをあるときそうするのをやめたり、また逆にあるときからただで配りはじめたりする−−がこれをはじめると話がとんでもなく長くなるので、意地悪に思い切り単純化しておく)。

土曜日のFrance 2の番組に出てきた歌手たちが、その売れかたから言って基本的に、メジャーと利益を共にする者たちである以上、そのP2P交換合法化阻止宣言は自然といえないことはない。が、それのタイミングとスタイルは現在の熱く動いている状況下では恐ろしく興ざめなものだった。会場には文化大臣も出席していて、TVではその姿をちらちら写す。そんな中で発せられた宣言は、P2P合法化への反対だけでなく、政府の規制強化に賛成しているととられても仕方がない。実際のところは、メジャーに属しP2P交換合法化へ反対しながら、かつ、規制強化への憂慮を発言する音楽家も多いにもかかわらず。

そもそも、フランスで文化大臣が出席しているようなこうした音楽イヴェントでは、この数年来去年あたりまで、ほとんど儀式化している「ハプニング」があった。それは、失業手当の条件悪化に反対するフリーのアーティスト・舞台関係者たちの代表が「乱入」(しばしば主催者側スタッフとの「協力」により)して、政府の政策批判の宣言を読んだり、正規の出演者の一人がなんらかのきっかけをとらえて彼らに連帯の宣言をしたりすることである。そのたびに、会場は沸き、文化大臣の苦い表情が映し出される。そこには持つ者と持たざる者の同じアーティストどうしとしての連帯があった。だからショーの中の美しい一こまとなる。昨夜の番組をみながら、文化大臣の顔が写るたびに、今回はその「儀式」がないなと思っていた矢先だったので、出演者が勢揃いして何か読むなと見えたとき一瞬「何かがおきる」と期待しただけに、文化大臣をご満悦にするメッセージは私にとって余計に興ざめだった。そして、この宣言に対する会場からの拍手はまばらで、明らかにブーイングも出ていた。多くの人が思ったろう。ポップ歌手は、ロッカーもラッパーも含めていつから皆が政府の提灯持ち、イエスマン・イエスウーマンになったのかと。

いくつかの確かめようもない疑問はある。すべての出演者がこれに賛成したのだろうか。あまりに興ざめでこのあとTVをつけっぱなしにしたまま別のことをしていたので、その後の展開をおさえていないが、少なくとも、この宣言に「連帯」せずにカウンターの宣言をする骨のある者がいたようには見えない。宣言読みの際に出演者が一人残らず整列していたかどうか−−ほとんどであることは確かだが−−も今となっては定かでない。すべての出演者が何の抵抗もなく、政府の推進する政策の宣伝の道具となっていたのならため息が出るし、この宣言を読むことに賛成しない人間が出演しないしくみになっていたのなら怖いことだ。

宣言を読んだ一人に、70年代から80年代にかけて活躍したロックグループ「テレフォン」のリーダーで、ソロで活動を続けるジャン=ルイ・オベールがいた。フランスでは今国産ロックが売れると分かっていながら、人材が不足しているため、過去の人材の発掘に余念がないが、その波に乗って、何度めかの「復帰」を果たすべく昨年末からヴァージン(EMI)の積極的なプロモーションとともに活躍している。ファンには悪い意地悪な言い方だが、去年の初め、「私も違法ダウンローダー」宣言に署名しながら、12月22日にP2P合法化反対のメジャーミュージシャン連の宣言に名を連ね、昨夜の番組で宣言読みの主役になったのは、彼の微妙な立場を反映している。

昨日の番組のあと、彼はカリ−といっしょにボリス・ヴィアンの「Le déserteur 脱走兵(徴兵忌避者 )」を歌ったが、前後の連関でこれほどそらぞらしいものはなかった。だれかれにも押し付けることができる規範ではないかもしれないが、私の古風な美学によれば、ロック・ミュージシャンとして自らを売るものは、大企業支配や政府の管理政策に反対するポーズをとるほうが美しい。2002年にノワール・デジールが、フランスで一番大きい音楽賞祭ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジックで複数の賞をもらったとき、そのリーダーのベルトラン・カンタは、所属レコード会社のグループ、ユニヴァーサルの総帥で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったジャン=マリー・メシエに対し、客席にいる彼を前に皮肉に満ちた短い謝辞もそこそこに、業界独占への彼の野望と戦略を痛烈に批判し、拍手喝采をあびた。そして人気をあげCDの売り上げを伸ばし、会社を儲けさせた。

ネットに脅かされた2006年のメジャーの業界では、もはやそうしたパラドキシカルな「共謀」を成立させるための、企業の懐の深さも、音楽家の無鉄砲さもないようだ。ベルトラン・カンタは翌2003年8月1日にリトアニアで、酔いにまかせてガール・フレンドのマリー・トランティニャンを殴って死なせ、刑務所に入り、残されたメンバーは細々と過去の遺産で食べている。あの事件は何かのはじまりだったのかも知れないと今になって思う。

*1:私は今用意されている強い規制案にもちろん反対だが、ひょうたんから駒で通った現在の法案のままではどうしようもないと考えるほうに属する。