9.11調査委員会報告書

アメリカの9.11事件真相究明のための独立調査委員会(正式名称 The National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States 通称 9-11 Commission)が9.11にいたる経緯、事件当日の経過についての報告書を発表し大量のニュースが流れた。こういうときはニュース記事にまどわされる前に実際の報告書をじっくり読むのがいちばん。その上で見ると、あれこれの記事の書かれた立場やバイアスが分かる。長大のものだと信頼できそうなメディアのレジュメに頼るしかない −−たとえばハットン報告書なんかは300ページ以上あり、ジャーナリストかよほど暇人じゃない限り読めるものではない−−が、今回のは比較的短い。

委員会のホームページはここ→ http://www.9-11commission.gov/
報告書、証言(生資料)はすべてPDFでダウンロードできる。生資料まで読むのはプロか閑な陰謀論者だろうから報告書部分(Staff Statementと呼ばれている)に話を限ると、今回発表されたものは3部に分かれており、次の報告書No. 15, No. 16, No. 17(このNoはこれまで委員会が出した報告書の通し番号)ということになっている(Pdfファイルへのリンク付き)。

1. No. 15: Overview of the Enemy
2. No. 16: Outline of the 9/11 Plot
3. No. 17: Improvising a Homeland Defense

めんどうだから報告書番号でなく1,2,3で呼ぶと、1は敵として同定されたアルカイダとは何物か、どのようにできたかということ。2.はその9.11テロ攻撃の計画。3.は当日の事件の経緯(攻撃とそれに対する国防システムの対応)。1は12ページと比較的短い。2は20ページ、3は29ページ。英語は平易で、むしろ事件物の小説を読むような感じで読める。ただし3.まで克明に読むのはよほど閑がないとしんどい(ペンタゴンには実は飛行機突入はなかったとか、実は「自作自演」とかブッシュは事前に全部知っていたとかいうことを当日の経緯から証明したい陰謀論者ならこのへんが一番おもしろのだろうが)。

それぞれからいろいろなニュースが生まれた。

9.11委員会報告書−Overview of the Enemy

なんといってもこれの目玉は9.11に関してアルカイダイラクは関係がなかったいうもの。その旨の解説記事はたくさん書かれもはやお馴染みだが、一応元ソースからその部分を抜き出すと(時間がないので訳は省く)。

Bin Ladin explored possible cooperation with Iraq during his time in Sudan, despite his opposition to Hussein's secular regime. Bin Ladin had in fact at one time sponsored anti-Saddam Islamists in Iraqui Kurdistan. The Sudanese, to protect their own ties with Iraq, reportedly persuaded Bin Ladin to cease this support and arranged for contacts between Iraq and al Qaeda. A senior Iraqui intelligence officer reportedly made three visits to Sudan, finally meeting Bin Ladin in 1994. Bin Ladin is said to have requested space to establish training camps, as well as assistance in procuring weapons, but Iraq apparently ever responded. There have been reports that contacts between Iraq and al Qaeda also occurred after Bin Ladin had returned to Afghanistan, but they don not appear to have resulted in a collaborative relationship. Two senior Bin Ladin associates have adamantly denied that any ties existed between al Qaeda and Iraq. We have no credible evidence that Iraq and al Qaeda cooperated on attacks against the United States.(p. 5)

具体的事実を列挙したあと、最後の一行はこれ以上はないというほど明確な結論。


これとは別に、この第1報告書を読んで個人的に認識を変えたのは次の部分。

By 1992, Bin Ladin was focused on attacking the United States. He argued that other extremists, aimed at local rulers or Israel, had not gone far enough; they had not attacked what he called "the head of the snake," the United States. He charged that the United States, in addition to backing Israel, kept in power repressive Arab regimes not true to Islam. He also excoriated the continued presence of U.S.military forces in Saudi Arabia after the Gulf War as a defilement of holy Muslim land.

ビン・ラディンアメリカをターゲットにすることの目的は、イスラエルの支援とアラブ諸国内の腐敗した真にイスラム的でない政権支援を止めさせる、サウジ・アラビアの米軍を撤退させることにあるということだが、これはどれもアメリカの多少なりとも具体的な中東政策に結びついている。

9.11のあと、どうしても思考に無意識のうちにでものしかかる「文明の衝突」的解釈のためか、この攻撃に、イスラム原理主義者たちの西欧文明に対する憎悪、非イスラム的な(「堕落した」)価値を体現するものを懲罰・抹殺しようとする聖戦的意図を読み込む傾向が多く見られた。あるいは資本主義、富の象徴に対する攻撃として、貧しい者の富める者へのルサンチマンという「南北衝突」も読み込まれた。後者の傾向はテロリストを行動にかりたてたものに一定の理解を示す人々にも多く見られた。私自身も上の全ての解釈を不分明なまま考えの枠組みに持っている。

テロリストたちの一般的心理のなかにこうした要素はあるのは当然だろうが、上の報告書のビン・ラディンの行動の解釈は、テロ計画は、そうしたあいまいで一般的な憎悪に発するものではなく、具体的政治的目標を達成する手段としてのテロ行為という位置づけがなされている。もちろん報告書の合理的分析が正しいとは限らないが、少なくともこの報告書を認める立場に立てば、あいまいな「文明の衝突」、「狂信者の不合理な行為」のような概念で人々をいたずらに永続的な不安を掻き立てることとは一線を画さざるをえなくなるはずだ。

9.11委員会報告書-- Outline of the 9/11 Plot

アメリカを対象とした同時多発テロの案がアルカイダの中でどのように生まれ、実際に9.11の具体的計画にどう決定されていくかの経緯。なかなか具体的で内部事情がここまで調査できているのかと感心したが、実は主謀者とされるハリド・シェイク・モハメド(Khalid Sheikh Mohammed、報告書中ではKMSと略記される)の供述(去年3月にアメリカに捕まっている)が屋台骨で、そこに他の「アルカイダメンバー」の証言を傍証にして構成したもので、肝心なところは報告書というよりむしろ容疑者供述書。捕まったテロリストが主謀者と称してベラベラしゃべるときそこにどういう意図や心理があるのかも考えに入れなければいけないだろう。

この報告書の中に Japan という語が一度だけ出てくる。日本の米国施設攻撃の案もあったというもので、日本のマスコミで大きく報道された。これも元ソースの当該個所を前後関係をまじえながら抜粋する。

It soon became clear to KSM that the other two operatives, Khallad bin Attash and Abu Bara al Taizi -- both of whom had Yemeni, not Saudi, documentation -- would not be able to obtain U.S. visa, Khallad, in fact, had already been turned down in April 1999, at about the same time that Hazmi and Mihdhar acquired their U.S. visas in Saudi Arabia.

Although he recognized that Yemeni operatives would not be able to travel to the United States as readily as Saudis like Hazmi and Mihdhar, KSM wanted Khallad and Abu Bara to take part in the operation. Accordingly, by mid-1999, KSM made his first major adjustment, splitting the plot into two parts so that Yemeni operatives could participate without having to obtain U.S. visas. He focused in particular on Southeast Asia because he believed it would be easier for Yemeni to travel there than to the United States.

The first part of the operation would remain as originally planned - operatives including Hazmi and Mihdhar would hijack commercial flights and crash them into U.S. targets. The second part, however, would now involve using Yemeni operatives in a modified version of the Bojinka plot : operatives would hijack U.S. commercial planes flying Pacific routes from Southeast Asia and explode them in mid-air instead of crashing them into particular targets. (An alternate scenario, according to KSM, involved flying planes into U.S. targets in Japan, Singapore or Korea.) All planes in the United States and in Southeast Asia, however, were to be crashed or exploded more or less simultaneously, to maximize the psychological impact of the attacks

Khallad has admitted casing a flight between Bangkok and Hong Kong in early January 2000 in preparation for the revised operation. According to his account, he reported the results from this mission to Bin Ladin and KSM. By April or May 2000 however Bin Ladin had decided to cancel the Southeast Asia part of the planes operation because he believed it would be too difficult to synchronize the hijacking and crashing of flights on opposites sides of the globe.

要するに、コマンドの中で二人のイエメン人がその国籍のためにアメリカのビザがとれずテロ攻撃に参加できなくなった。それでこの二人をはずすかと思いきや、仕事口をあてがうために、二人にとってビザのとりやすい東南アジア方面の計画案を追加した。そこでの基本的計画はハイジャックした旅客機を空中で爆発させることだが、別のシナリオとしては、日本、シンガポールあるいは韓国の米国関連施設に飛行機をつっこませる案もあった、というもので、枝分かれの枝分かれの案。むろんひょうたんから駒ということもある。こんな失業対策事業みたい発想から、日本が巻き込まれるのはかなわない。

それにしても明確に確認しておかなければならないのは、攻撃対象になっているのはアメリカ関連施設でその一つとして日本にあるものが可能性にあがっているということだ。アメリカの同盟国である日本そのものを狙うという発想ではない(すくなくともこの時点では)。ところがイラク戦争以降の状況の変化のなかでそのあたりがわれわれのイメージの中でごちゃごちゃになってはいまいかということを危惧する。報道の多くは日本の米軍施設ということを明示しているが、見出しレベル(「アルカイダが日本テロ攻撃計画していた」)や情報を単純化したブロッグレベルだとどんんどんその限定があいまいになっていく。飛行機が厚木基地あたりにつっこむイメージから新宿のど真ん中へのそれへ徐々にシフトしていってはいないだろうが。

ブレアの「イラクは45分間で攻撃可能」発言問題で、通常兵器の配備時間の情報が、キプロスの英軍施設へのミサイル攻撃へ、そしてタブロイド紙のレベルでは、45分後に化学兵器核兵器がロンドンに飛来してくるイメージへと変化していったのを私たちはすでに目撃している。

もし万が一この計画が日の目を見たときターゲットになる日本内の施設はどこだろうと想像してみるとき、可能性として圧倒的に大きいのは当然ながら沖縄の米軍基地だ。もし日本が攻撃されていたら、日本が国をあげてアメリカと一丸となり、有事立法なども整備していく機会になっただろうという意見を読んだ。政治家はその方向に利用するかもしれない。しかし、直接間接に被害を被る沖縄の人々までが、なぜ基地がここにあるかを不問にしたまま、アメリカと一体になってブッシュ版の「テロへの戦争」を支持することになったかどうか、あるいはアメリカの基地は勘弁、基地は出て行けという声がそこで多数になったとき、他の地域の日本人はそれを「テロに屈した」と呼ぶのだろうかと、不謹慎な仮定ながら、何度も自問してみた。