米大統領選挙、仏紙の社説から

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◆本稿アップ後に、media@francophone
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/8903125.html
が、ここでとりあげた3紙の他スイスの仏語紙の社説の全訳を掲載しているのを見つける。
忠実な全訳はそちらをみていただきたい。
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勝敗が決まるか決まらないかの内に、さっさと出た、リベラシオンによる国際政治学者へのインタビューによる分析には、昨日の記事で触れた。

今朝のリベラシオンの社説も、その線に沿うもの。

革命 Révolution
Par Patrick SABATIER
jeudi 04 novembre 2004 (Liberation - 06:00)

「革命」というタイトルは、「保守主義革命 révolution conservatrice」と呼ばれているものが、この選挙によりアメリカでついに成就したととらえるからだ。この革命は、クリントン時代の小休止で一過性のものと信じられもしたが、結局着々と進行し実現されたものとらえられている。結びのことばづかいはかなりかなり刺激的だ。

21世紀初めのアメリカは反動的(réactionnaire)だ。9.11で生まれた恐怖の念にかられて超反動的(ultra)で攻撃的になることもあり得る。共和党派は今やすべての権力を掌握している。...
戦時にみられる正統主義的(légitimiste)な反射的行動によりブッシュを中心に集結した新しい多数派は、アメリカの民主主義に対する支配をさらに固めるだろう。他の世界はそれを嘆くことはできるにせよ、その現実に適応しなければならない。

フランス革命史にある程度詳しい方には、お馴染みの語彙。今の日本でこのスタイルで書くのは一部の政治グループしかないのではないだろうか。


フィガロの記事は

Un sursaut ジャンプ
Pierre Rousselin
[04 novembre 2004]

書き出しの

ブッシュによる世界は、次の任期中は、最初の4年間とはいささか違うものになりそうだ。アメリカとの間に信頼関係をとりもどすためにこの機会はすみやかに捉えられなければならない。

でつきる内容。2期つとめるアメリカ大統領は第1期と第2期でかなり政策やスタイルが違い、第2期のほうが堅固かつ穏健なものになりがちだという過去の歴史的観察(これはTVなどでもよく紹介された)を念頭におきながら、今回の選挙結果はアメリカの国民が選んだアメリカの道なのだから、関係の回復のためには、ヨーロッパの側から歩みよるべきだとする。「ブッシュによる世界」という表現は以前(6月18日)紹介したフランステレビ局制作のドキュメント映画のタイトルをふまえている。価値観の違いについての問いは一切ない。跳躍、ジャンプとは、こちらから向こうにジャンプしろという意味。保守系フィガロは、もともと親米的なスタンスをとることが多い*1イラク戦争のときにも、アメリカの行為を是とする論者の論をよくとりあげた。リベラシオンと対極にあるこの記事は驚くに値しないが、それにしても内容が薄い。


さて、ル・モンド。筆頭ジャーナリストで社長の Jean Marie Colombani 本人の署名がある社説。

Un monde à part 別の世界
L'éditorial de Jean-Marie Colombani

LE MONDE | 04.11.04 | 14h10
ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 05.11.04

「ブッシュの再選は、悪いニュースというぐらいものではすまない。ヨーロッパにとって、またおそらくは世界の他の国にとっても」と書き出すこの記事は、ヨーロッパがつきつけられた現実の深刻さ、そこから生まれる課題について書いていく。リベラシオンが、「その現実に適応しなければならない」と述べながら感情的な落胆、観念的な反応のレベルでとどまっているのに対し、その先に思考を進めるものといえる。

以下、若干のレジュメやパラフレーズを含む抄訳で紹介しよう。

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虚偽の根拠で戦争を引き起こし、膨大な赤字を生み、大量の失業者を生じさせた人間が再選されたことに対し落胆したり驚くにせよ、あるいは、戦時中でありさらにはまだ外敵の脅威におびえている国ということで理解はできるにせよ、その先に進めば、ヨーロッパ人には今や態度の上で3つのことが要求される。それは、もはや幻想も、言い訳も、逃げも許されないということを認識しなければならないということだ。

幻想とは、2期めに入ったブッシュ政権が、より現実的路線、協調路線に戻ってくるだろうという考えである[これは上述のようにフィガロが漠然としめした考えである。]。いかし過去の4年間の行動を見て、ブッシュ−−自己批判のできない人間、直感を信じ、そうした直感は神からやってきたものだと信じている人間−−が、行動様式を変えるとは思われない。そして、選挙で自分が考えが国民から支持されたと信じた今、なおさらのことだ。

国内的にも国外的にもブッッシュは人権や国際法といったものをさらに軽視していくであろう。国際的ルールを無視し、その時々で都合のよい相手と組もうとすることになる(例えばプーチン)、今や「国際情勢の見通しは、まだ厚い雲がただようにせよ、あるい意味で前よりすっきりとした。ヨーロッパはそこに何が待ち受けているかを今や知っている。ヨーロッパを畏敬するよりも軽蔑する傾向のある人間、いずれにせよヨーロッパを分裂させようと試みる人間を相手に」。

したがって、ヨーロッパにはもはや言い訳は許されない。アメリカという「スーパーパワー」の行為や態度に不平を漏らしているだけでは得るものはない。と同時に、反米主義を自らのイデオロギーとしてしまうこと−−その誘惑は今や圧倒的なのだが−−に警戒せねばならない。アメリカがスーパーパワーと認識されるのはヨーロッパの無力の裏返しでしかない。

「しかしこれほど力関係の不均衡のある存在の間にパートナーシップが成り立つわけはない。ヨーロッパがペンタゴンのような巨大な予算を持つべきだというのではない。が、ミロセヴィッチ政権下のセルビア程度のそこそこの武力を抑つけるためにさえヨーロッパ人がアメリカの軍事力の助けを必要とし続ける限り、ヨーロッパ人が軍事予算のほんの少しの増大でさえ社会政策の後退と捉えることが続く限り、何も変わることはないだろう」

「必要なとき、必要な場所で信頼に足る存在であるためには、そして、ドミニク・ド・ヴィルパンが国連で述べたように、武力の行使にルールを適用するためには、それが使用可能であることが必要である。」

3つめに、「われわれにもはや逃げは許されない。というのも、同じ一つの世界を共有する人々の間で共有される協議や評価に基づくような、欧と米の関係回復があるとはわれわれはもはや信じることができないからだ。」両端のアメリカ−−北東部と西部−−が民主党支持によって古い大陸への親近性を示したとしても、アメリカの中央部、「ブッシュのアメリカの心臓部は、まぎれもなく、一つの別の世界であるからだ」

この観点からいうと、11月2日の投票結果は2001年9月11日のテロを共和党派が過大に利用したことで主として説明されるものではない。ブッシュ陣営の選挙参謀長であるカール・ローヴは「価値」に関する選挙運動を展開する理由を説明するために、「恐怖による票はすでに固まっている」と選挙前に述べた。

「この投票結果はしたがって、アメリカがさらに深刻に道を逸れていくこと、ヨーロッパからどんどんと遠ざかっていくことの表現であり、確認である。ヨーロッパがお互い国家主権の放棄の計画を進めているとき、アメリカは覇権にもとづく戦略理論を採用し、あらゆる軍事的競合力の出現を妨げようとしている。ヨーロッパ人が、中東やコーカサスについて、世界の安定を危うくする諸紛争の個別的な取り組みの緊急性を強調しているときに、アメリカ人は、輪郭もさだめられない敵、悪の新しいカテゴリーとしてのテロリズムに対する「戦争」を宣言する。ヨーロッパ人が、正当にも、その憲法の中に自らのユダヤキリスト教的起源に特別の位置を与えるのを避けようとしている一方で、アメリカ人は宗教をその政治的論争の中心に置いている。」

しかしこの「別の世界」はその力を信じがたいほどのダイナミズムから得ており、その活力の主な源泉は、次々に押し寄せる移民の波を吸収同化する驚くべき能力にある。一方老い行くヨーロッパは国境を閉ざすことしか考えず、移民に関する共通の政策を持つことさえできない。

この「別の世界」は、昔ながらの操業形態の産業の生き残り(鉄鋼業や自動車産業など)を持った時代遅れの世界であるともに、もう一方では、世界的に圧倒的優位のハイテク部門、R&D,大学や、新しい成長に資金を提供する金融部門をそなえる進んだ世界でもある。このモデルは借金によって成立しており、アメリカが「別の世界」でいられる資力を供給しているのは世界の他の国、特に中国、日本、ヨーロッパである。その一方でヨーロッパの政治指導者たちは何をしているのか。このようなときに欧州憲法にノーをつきつけるフランスがあるとしたら誰が理解するだろうか。

そして、

21世紀の始まりは1989年11月9日にベルリンの壁が落ちた後にわれわれが夢見ることのできたものとははるかに異なるということを、ジョージ・ブッシュの再選は、われわれに理解させる最後の一押しとなった。世界がヨーロッパ的なモデルの上に建設されることはない。経済上の自由と道徳上の監視を混合した別のモデルが現われてくるのかもしれない。将来のある日それがわれわれのモデルとならないよう、少なくともアメリカの投票結果はわれわれにとってショック療法でならねばなるまい。

と最後は閉じる。

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昨日の記事で「今回の選挙の結果によって、二つが違う世界に属するという捉え方が決定的になっていくだろう。さてそうした新しいアメリカと今後どういうふうにつきあっていながら、欧州的価値観をどうやって守るか、というのが今後の議論になっていくはずだ。」と書いたとき、ル・モンドの社説がなんらかの深い考察を持ってくるだろうと期待したが、予想以上に力の入った文章だった。

この文章が2001年の9.11事件の直後、「Nous sommes tous Américains われわれ皆がアメリカ人」という有名な社説でメリカとの全面的な連帯を訴えたのと同じ筆者の筆になるものだということを考えると、ここで表明されている二つの世界の別離についての苦い現実認識の意味はさらに重くなる。欧州的価値観をどうやって守るかについて、最近の国内事情にからめた欧州憲法批准反対派への警告のみならず、軍事力の不均衡の問題にも触れているのは、現実的にかなり踏み込んだ立場の表明といえる。

*1:ブッシュ家とつながりの深い軍需産業部門のカーライルグループが株主だったこともある。ただし2002年にカーライルは手をひいて、現在では関係がない