§1.フレンチブログの出発 2001-2002

フランスでいつブログがはじまったかは、この手のもの起源さぐりの常、簡単には答えが出せない。ウェブログWeblog について、アメリカで流行している現象という紹介をフランス語圏のネットで見たのは、日本語ので見たのと同じくらいで、たぶん、一部の人々の間で語られたのも、少数の先駆者がいたのもあまり日本と変わらないのではないかと思う。少数の人が最初は自己ドメインやホームページのホスト先でphpの使えるところ、あるいはアメリカのサービスを利用してやっていた。情報はフランス語圏カナダを通しても入ってくるので、ドキュメンテーションやサービスについても、最初はフランス語圏カナダとフランスとの両方の動きが混在している。フランス語で書かれたフランス語の最初のブログについては、2001年の最初あたりを中心に、諸説があるが、あまり意味のない詮索と思える。

フランスで、ブログのホスティング・サービスに近いものとしては、2001年の中頃すでに Joueb.com が出現しているが、これは掲示板の参加者の各人が自分のポータルを持って、そこにページを作れるというもので、必ずしもカレンダー形式と結びついておらず(今ではカレンダー日記形式にコンフィギュレーション可能)、現在の標準的なブログとは若干違う感じがする。

したがって、この時期は、Joueb.com に集う人々を除けば、ホスティング・サービスに依存しなくてもできる人たちによって、主に進められていたことになるが、それでも、2002年6月にはYahoo Franceのディレクトリーの文学>エッセー・自伝記録>日記カテゴリーに Blogの項目が出現するほどにはなっていた。

§2.国内ホスティング・サービスの開始 (2002年末−)

2002年11月に老舗U-blog の前身の meta-blog がはじまり(u-blogになるのは翌年3月)、2002年12月末に ラジオ局のkyrockが、ブログサービスSkyblogを提供しはじめる。u-blogはアメリカ・カナダのブログ・ムーヴメントの中から生まれてきたものだが、後者のSkyblogはまったく違う環境から生まれてきた。Skyblogについてはまた後述する。

ブログ普及啓蒙とブログウォチングのためのメタブログのようなものが出てくるのもこのころで、フランスで初めて「ブログをやりましょう」みたいな単行本*1を出すことになる二人のブロガーによる http://pointblog.com/ がはじまったのが2003年2月。また、同じような ブログメディアとブログのアクチャリティを扱うとうたう mediaTIC blog http://mediatic.blogspot.com/ が始ったのが同じく、2003年2月。そして4月にはネットビジネスの中でのブログの役割を中心にメタ・ブロギングする LesBlogs が開始。2002年初頭以降のブログ界の推移を知るには、これらのブログでリアルタイムで書かれる記事が便利である。

*1:Cyril Fiévet, Emily Turrettini, Blog Story (Organisation,2004)
http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2708131583/171-6695801-5237809
出版されたのは去年の9月とかなり遅いが、300ページくらいありなかなか充実している。

§3.ホステイング・サービスによる発展(2003−

2003年を通して複数のいくつかのポータル、IT関連企業、Canal+、Europe 2というようなTV、ラジオ局がブログサービスに参入した。mediatic.blogspot.com が発表する2003年12月のブログ数ランキングでは、以下の15のブログ・サーヴィスが挙げられている −− SkyblogSkynet BlogsU-blogMon BlogueJournal Secret、Europe 2 blogs、Joueb、Bon Web、Actualités.fr、Blogg、Mon Journal Intime、Blog Services、Haut et Fort、20 Six、CanalBlog。

この段階で、Skyblogのblog数が7万以上、2位のSkynet Blogsが7000、5位のJournal Secretが3500で、それより下は500以下にしか過ぎない。2位の Skynet blogsはベルギーのポータルサイトSkynetによるものである。この段階では、放送局系の CanalBlog、Europe 2 Blogsは参入したばかりなのでランクが低いが、このあと成長していくことになる。そしてここですでにSkyblogの一人勝ちがはっきりしていて、2004の1月には10万ブログになると予測され、実際そうなった。そしてこのSkyblog一人勝ちの傾向はこれ以降も、現在まで加速されることになる。日本との換算で数字を実感するためにはフランスの人口は日本の人口の半分ということを頭に入れておけばよいだろう。

同じサイトの2004年6月の調査リストは18のサービスがあげられている、利用者数10位までを詳しい数字とともに示すと次のようになる。一番右にイタリックで示した数字は、その後の変化を見るために、私がこれを書いている6月8日の時点で各サイトで確認した公表ブログ数を添えたものである。

01) Skyblog - 465823 2194137
02) Skynet Blogs - 18726 56964
03) U-blog - 17725 60391
04) Nioki - 15012 25189
05) TchatcheBlog - 10232 106316
06) Journal Secret - 4880 9253
07) Mon Blogue - 4574
08) Europe 2 blogs - 3380
09) CanalBlog - 3031 41422
10) Blogg - 2994 22338

10位までで、3000ブログくらい。現在の数字は、不明なものもあるが、だいたい10位くらいが1万ブログを持つサービスではないかと思える。u-blogは、コンセプター・オーナーから別のベンチャー企業家に売られ、さらに2004年7月に TypepadのSixApartに買収され、その過程でサービスに変化があって利用者を混乱させたり、SixApartが Typepad.fr へのミグレートを奨励するなどの経験をした。
。また、この中にはたとえば、Journal Secretniokiのような、ブログといよりもクローズドではないがむしろSNSか出会い系に近いようなスタイルのものも入ってきている

上のリストの11以下は、6月の段階で参入したばかりでその後利用者数の増えたやはりラジオ局系のFunblogzを除けば、ビジネスとしてブレークしなかったもの、あるいは独立独歩に地道にやっているものなどで、なかなかに個性のあるものもある。

11)Haut et Fort
12) BonBlog
13) Joueb
14) Actualités.fr
15) Journal Intime
16) 20 Six
18) Funblogz

これを合わせてこのときの調査では、550 651 件のブログを数えている。もちろん自己インストールのもの、米国、カナダのサービスを利用したものは含まれていず、またこのうちどれだけがアクティヴかどうかも計りがたいとしている。

§4.社会現象としてのブログの発見 (2005年3月)

上のような発展はあるが、ネットにあまりかかわりのない人も含めたフランス人皆が、ブログというものの存在を知ったり、ブログ、ウェブログという語を耳にしたのは、今年になってから、それも今年の3月のある事件をきっかけにしてといえる。それは、はてなでも例えば、id:yskszk:20050328、 id:kanac:20050328#p2でとりあげられた「『ブログに先生の悪口』 仏の中高生8人、退学に」という事件である。この「高校生がブログで教師を中傷して処分」は、ここで報告されたほかにもケースがあり、退学も停学に「減刑」されたり、学校での処分のほかに名誉毀損事件になったりなどいろいろ続報があったが、それについては、いまは立ちいらず、ただフランスではネットに限らず伝統的に名誉毀損に対して、判断基準や制裁が日本より厳しいので、あり得る事件だという指摘だけにとどめておく。

さて、この事件は、最初「インターネットで中傷」のように報道されたが、具体的な内容がわかるとだんだん「ブログで中傷」というような表現を用いて、「ブログ」とはどういうものかという説明つきで、記事が書かれるようになった。そしてそこで高校生、若者の間でこの「ブログ」なるものが盛んに流行していることを人々が知り、そして特定のサービスである Skyblog に信じられない数のブログがあることも分かった。

§5.Skyblogのブログ数 ≒ ブロガー数 ≒ 若者ブロガー数

この事件のときの報道での、「会員数160万のSkyblog」や「フランスの中高生の150万人が自分のブログを作ったり、日常的に書き込んだりしている」という報道があいまいで、数字が膨大なこともあり、何が正確な情報かという点がぼやけたか、より詳しい事情は次のとおりである。

この事件に関連してル・モンド「Les blogs adolescents, espaces d'affirmation de soi et de découverte de l'autre" LEMONDE.FR | 24.03.05 」 という記事で、ユース・カルチュア研究、青年心理学の立場から、このブログ現象を研究している人にインタビューしているが、ここで、この3月末の時点で、Skyblogに164万のブログがあること、毎月1万件増えていること、そして正確な統計がないのでわからないがSkyblog上のブログ数がフランス全体のブログ数の8割から9割を占めるだろうと明らかにしている。Skyblogのblog数はトップページで確認できるので、この数字は正確である。そしてSkyblogの母体である ラップ、ヒップホップ専門のラジオ局であり、大部分の視聴者が10代からせいぜい20代前半の若者であること、Skyblog上でアップされるブログの内容をみても、そのうちの9割から少なくとも8割は、この年代層というのは予測がつく。そして、中高生というのはその大きな部分を占めると思われる。これだけ数が多いと、ノリで作ったはいいが更新されない幽霊ブログもあるだろうが、ただし、規約で105日更新されないと自動的に消去されるとしているので、べらぼうなパーセンテージにはならないと思われる。

さて、現在はというと、上にあげた最新の数字(斜体字の数字)でわかるように、Skyblog上のブログ数は現在220万−−上の表を作ってからこの文を書いている間に実際に220万を越えた−−であり、2位のTchatcheBlog の10万6千件という数字を桁違いに引き離している。どのくらいがアクティブかはわからないが、少なくとも過去からの累積で、8900万件の記事、1億2千万件のコメントというのは、並大抵の数字ではない。そして2位以下の数字を合わせても、どう多く見積もっても40万は越えないであろうこと、そして第2位になっているTachatcheBlog はじめ、数万のブログ数を持つたのサービスも、Skyblogとかなり近い雰囲気であることを考えると、250万を越えるブログのやはり少なくとも8割は十代、せいぜい20代前半の若者と考えていいだろう。

ル・モンドは3月末以来さらに拡大するブログ熱を5月21日の記事「L'univers des blogs, ses habitants, ses rites, son langage LE MONDE | 21.05.05」でまたとり上げているが、ここではフランス全体のブログ数を270万とし、そのうち200万が青少年によってSkyblogに作られたものとしている。Skyblog外のもの全体の見積もりが上の私のものと違うが、スクプト・インストール型のものや外国のサービスを利用したものも含めたカウントの違いがあるだろう。

§6.Skyrock, Skyblog − 「収斂はコードだ」または「ネットとラジオの融合」

Skyblog は、上で既に述べたように、R&B、ラップ、ヒップホップ専門のラジオ局 Skyrock の作ったサービスである。始ったのは2004年1月という説もあるが、2003年12月27日という日づけも目にする。この Skyblog の動きについては、Moveble Typeのようなプラットフォームに代表される正統的なブログ文化の伝統にいた pointblog.com の作者たちにとって、予想外だったようだ。2003年2月22日の記事で、驚いたようすで、こうしたサービスがはじまっていること、そしてすでに8000のブログが開かれていると報告している。最初、伝統的なブログの展開を進める人は、このSkyblogでブロガーの自由度が制限されていることを、快く思わなかったようでで、 「二流ブログ sous-blog」、「代用品 ersatz」などの形容がみられる。しかし、それにもかかわらず Skyblog は破竹の勢いで伸びた。

そして、このSkyrockの ブログ進出は、社長で創業者のピエール・ベランジェ Pierre Bellanger(1959−)のはっきりした戦略・哲学に基づいていることがわかり、彼の考えはメディア業界、そしてメタブロガーたちの関心をひくようになった。Skyblog開設1年後の2003年12月には、最初Skyblogに疑問を表明していた pointblog.com もベランジェに直接インタビューしそれを発表している。

実はベランジェは、Skyblogの開設と時を合わせるように、2003年の1月にSkyrockのサイト上で、「La convergence, c'est le code 収斂はコードだ」と題する論文を発表している。出版を予定した本として書かれたというこの論文は PDF版で47ページほどで、ローレンス・レッシングの「コード」概念をキーワードに、文化やコミュニケーションに関する彼自身の哲学を展開し、マイクロソフトやAOL、Yahoo、ebay、Sonyなどの戦略を定義し、金融・産業・政治各レベルでの戦略を展望するなど大風呂敷を広げながら、彼の目指すメディア戦略を語る内容になっている。「デジタル技術のもとにあらゆるメディアはすべてが、統一的なコードという概念に収束していくのであり、そのコードを扱うのがこれからメディアだ」というような、ある意味でありきたりの結論になっていくが、細部はいろいろな示唆があって面白い。

されに彼は、メディアの中で重要なのは「コンテンツへのアクセスよりも他人とのコミュニケーションへのアクセス」だと強調する。コンテンツは他とのコミュニケーション、コミュニティ生成の触媒としてむしろ重要であるのに、従来のメディアでは、デジタル技術の利用にあたって、それがコンテンツの流布に付随した二次的なものとしてしか捉えらえていないと批判する。そして、コードによって一元化されたあらゆるメディア的チャンネルが、他とのコミュニケーション、コミュニティの形成に役立つものとして利用されるべきだと考える。この論文の中でblogについては、一言しか触れられていないが、そうした文脈で、そうしたチャンネルの一つとして挙げられる。

そして彼にとってはその具体的な試みの場が、Skyradio = Skyblog ということになる。Skyblogが始まり、この論文が書かれたしばらく後、Skyblogの台頭が注目されてきた2003年3月のインタビューでは、一日あたり400万人の視聴者ががSkyradio=Skyblogという一つのプラットフォームに統一されたインタラクティヴな環境で、フォーラム、チャット、ブログ、SMS、電話伝言サービスを通して交流しているを、誇らしげに述べている。そして、Skyblogのブログ数が100万を突破した直後の、2004年11月の国際シンポジウムでは「私たちのラジオはもはや伝統的なラジオではなく、それはラジオ・コミュニティになった Notre radio n'est plus une radio traditionnelle, elle est devenue une radio-communauté」と宣言する。

§7.Skyblog探訪記 −− fenestrae拾遺

Skyblog探訪は実はすでに id:yskszk さんによって問題の3月の「高校生、教師中傷事件」に際してなされていて、探訪記がちゃんと書かれている(id:yskszk:20050328#p4)。もともと日本のネット事情をあまり知らない私の探訪記よりも、日本のブログを知り尽くした yskszk さんの観察のほうが、日本との比較では有効だと思うので、それを採録さsてもらいながら、上の情報でわかったことなどで、説明を少々追加していくことになる。yskszkさんの観察では「とにかくユーザー層が若いのが第一印象」で、

・ブラック・カルチャー好きの男の子が多い
・たまにポエムを書いている女の子がいる
・「正しい」フランス語にあえて逆らっている表記(大文字の「E」の代わりに「€」を使ったり)が目に付く
・テキストよりも画像データを多用
・なぜかコメントの投稿数が尋常ではない
・色使いがとにかく派手

ということであった。利用者の年齢層や文化的嗜好に関してはすでに、探訪記のコメント欄で語られているように、このブログの母体のSkyrockの視聴者層のそれで説明できる。「正しい」フランス語にあえて逆らった表記は、この層に普及しているSMS(携帯のショートメッセージ)の略表記、「音声中心主義」表記の習慣(c tro bo ce ke ta écri é triste en méme ten = C'est trop beau ce que t'as écrit et triste en même temps)から来ているのだが、これが一つの文化的規範になって、この表記をすることが仲間入りできる条件になっているからでもある。テキストよりも画像データが多いのは、このSkyblogおよび後発類似サービスのブログでも特徴でもあるが、じっくり中身を読むというより、一目で見て、一目で楽しめるものがこの手のブログの中心になっている。ザッピングするように色々なブログを見て、目をひかれものを、ブックマークしたり、過去のエントリーを読んだり、さっさとコメントするというような読み方が中心ではないかと思われる。そして創始者のメディアの収斂・融合の期待に答えるかのように、動画画像へのリンクやGifアニメが多い。そして、ページデザインがほとんどいじれず、規格化された中で個性をつけなければいけなので、背景の色や、字の色を派手にしようとするのだと思う。またトップページの自己紹介欄には、音声ファイルによる自己紹介へのリンクもあり、これに対して、電話伝言サービスで返事ができるようになっている。この機能にはかなり怪しい使われ方もありそうな気がする。トップメニューに Skyblogs vocaux と紹介されているのが、自己紹介欄に音声が置かれているブログ。少し試してみたがあまりまともなものはない。ここでラップをやったりとかできる。

それにしては、ブログというには問題があるのが、カレンダーがなく、エントリーにタイムスタンプさえない。アーカイブはクリックで戻りながら順送りに見て行くか、ページ番号を指定できるスクロールメニューがあるだけである。ここでは時間の観念は、トップにある最新ページが更新されるということではかられる「今」にしかない。コメントだけにはじめてタイムスタンプがつく。基本的に絶対時間軸上の観念は本文にはなく、追い越される「今」の蓄積がアーカイブに残っているだけだ。

ここでは、たくさんの人に読まれ、人気ランク上位に入るというのに重要な価値観が置かれていて、総合アクセスランキングのほか、過去1週間、過去60分の人気ランクというがある。また、好きなサイトが見つかったとき、おなじブロガー仲間にメールで気に入ったブログを知らせるのが推薦されていて、一回に5人までお知らせ推薦メールが送れるようになっている。そして推薦メールの多いブログ人気ランキングがある。過去一週間の人気ランクのところにそういえば、中学生くらい感じの女の子のポエムブログがあり(http://mon-ptit-coeur.skyblog.com/)、コメントの数がやはり尋常でなく100というのはざらで、500を超すときもある。詩というのは通常のホームページの時代から男女のものにかかわらずよくあるテーマである。また、コメントの数が日本にくらべてやたら多いというのは、Skyblogだけでない、フランスのブログの一般的傾向で、後でまた触れる。

§8.5. ポップジャパン・ワッチング・ブログ

余談だが、フランスの若者文化の中での現代日本文化の浸透がこの skyblog でよくわかる。トップページの真ん中あたりのサイト内検索窓か、http://www.skyblog.com/php/detail.php/page/recherche の窓に、Japon とか manga とかいうような、簡単なキーワードでなく、shibuya, shinjuku あるいは ayumi, kogal, yamamba, yaoi みたいなのを入れてみるとなかなか面白い。こうやっていろいろ見ていると、いわゆる「サブカルチュア」の分野では、日仏の輸出入均衡は、今や日本のほうが輸出超になっているように思えてくる。

§9.ブログを取り込むラジオ・テレビ局 (2003年末−

明らかにSkyblogの影響を受けて、若者を視聴者に持つ他のラジオ局やテレビ局がサイトでブログサービスを提供しはじめた。ラジオ局では2003年9月にはEurope 2が、europe2blogを、2004年3月にFunradioが、 funradioblogを、2004年12月にはNRJがNRJ Blogを。これらはいずれもSkyblogのスタイルを追いかけるようなものになっていが、europe2blog はこの4月にTypepadを導入することを決定、機能を増強して再出発した。

一方テレビ局のほうでは、ペイテレビのCanal+がブログサービスサイト Canalblogを2003年11月に開始。こちらは伝統的なブログのスタイルになっていて、ラジオ局のサービスよりも年代が上の利用者をひきつけ、ごたごたのある u-blogのテリトリーに侵入した。サービスのプレゼンテーションも、集まっているブログもなかなか落ち着いた感じでいいのだが、編集のほうが、ジャバスクリプトをつかって半分 wysiwygにしたようなインタフェースで、ブラウザを選び、怪しい動きをする。

また2004年12月には、音楽番組で若者の視聴者の多いM6がやはりhttp://www.m6blog.m6.fr/で参入。

そして今年の4月21日には驚いたことに、公営放送の France Télévision が、その2つのチャンネルFrance 2とFrance 3のそれぞれのサイトでブログホスティングを提供することになった。はじまったばかりでまだ利用者は少ないようだが、ここには一般利用者の作るブログと、2つのTV局の公式ブログ(France 3の各地方局のブログ)が、共存することになる。日本でいうと、NHKの公式サイトのサブドメインに局や一般視聴者のブログがごちゃまぜにあるような感じになる。

§10.ブログを取り込む新聞・雑誌

大新聞がブログを活用しはじめたと思ったのは、私の記憶に残っているのは、米大統領選挙のために派遣されたリベラシオンアメリカ特派員Pascal Riché が、ネット版リベラシオンのために発表していたブログ La course à la Maison blancheである。私は2004年の4月ごろ気づいたが、実際には2003年12月に始まり、2005年1月に最終更新を終えた。ここには大統領選挙戦関係でリベラシオンの記事として掲載できない雑情報や観測、個人的体験を読むことができ、最後のほうのブッシュ有利の雰囲気を実感として伝えてくれた。リベラシオンのサイトの中にリンクがあったが、今確かめると新聞のサイトではなく、typepad.comに作られている。現在のリベラシオンのサイトの表紙ページ内の「blog」という欄には、7人の記者のブログへのリンクがあり、これらは今ではリベラシオンのサイト内に作られている。そして、Richéのブログの場合のように、本文記事にかけないいろいろな情報が読める。

週刊誌でブログの影響を感じたのは、NouvelObsのニュース欄である。これは、コメント機能もなくブログではないが、カレンダーを用いたページデザインには明らかにその影響が感じられる。そして1日ごとにそのページの状態が保存されているので、過去のある日のニュースの重要度を知るのに便利だ。いつごろからこの表示形式になっていたかわからないが、今無理矢理表示させてみると、2002年1月1日にはすでにそうなっている。NouvleObsは去年blogサービスを開始したらしいが、技術的な問題でもめて、現在うまく機能していないようだ。

週刊誌に関しては、もっとブログ化したものや、実際にブログのスクリプトを手直ししてつかっているものもあると思うが、詳しくは確かめていない。

§11.ル・モンンドのブログ大接近。

フランスの新聞の中で、ブログの要素をもっとも大胆に取り入れはじめているのが、ル・モンドである。

ル・モンドは、今年の10月に自分のサイトで Typepad を利用したブログを開始した。そして、そこで記者、定期寄稿者のブログを掲載するとともに、読者にもブログを作るように促している。ル・モンド側の用意したブロガーには、フランス語のさまざまな話題について書く本紙の二人の校正担当者や、ニューヨーク特派員、あるいは作家・文芸評論家のピエール・アスリンらがいて、それぞれに面白い記事を読ませてくれる。読者のブログは、ネットか紙で予約講読をしている人に限られる。現在900ほどで開設されているが、動いていないのもあり、かならずしも内部は活発とはいえないが、なかなかに内容の質の高いブログがある。Typepadなのでデザインや機能の自由度も高いが、金を払った読者の開設するブログのページの一番上に、ランダムに選ばれた広告が出るのが、解せない。広告が一概に悪いとはいえないが、この手のランダムなやつは、本文に書かれたこととのからみでときどきブラックユーモアになるような、ものが出るからやっかいだ。

ル・モンドは今年の3月にネット版のデザインの大改定をした。ペーパー版なみに、ニュースのヒエラルキーを細く定めた、きめ細かい画面構成をしていたのが、既存のネットメディアのようにフラットな羅列に近いより単純化されたものになって、ちょっとがっかりしたが、スムーズで統一されたナヴィゲーションという意味では、まあよくなった。そして、ブログがより深く本紙部分のメニューに組み込まれると同時に、本紙部分にもブログとの接近をうかがわせる変化があった。

最も大きい変化が、社説欄、外部の著名人の寄稿欄にコメントがつけられるようになったことである。客観的な報道でない、こうした意見発表の文章を、ル・モンドは内(社説、記者論説)、外(解説的寄稿、意見投稿)にかかわらず「opinion」という欄でまとめているが、この「opinion欄」にのるものが、コメントの対象となる。ただしコメントは、予約購読者(ネット版、ペーパー版)としてネット版にログインしている者でないとつけられないようになっている。たとえば7日の記事、「一つの理念の死 La mort d'une idée LE MONDE | 07.06.05 |」を見ると画面右上に、コメントを促すボタンがあり、また最新のコメントが表示され、そしてその下に、32個(現時点)のコメントがつけられている旨の情報とそれらコメント全文へのリンクが与えられている。

モデレーターがいるかどうかは不明だが、コメントにはかなり激しい調子のものもある。

26日の日記で紹介した、EU憲法条約批准論争まっさかりに批准賛成、反対の立場をはっきりとさせて外部から寄稿された二つの記事、Jacques Nikonoff(Attac France代表者)の「EUの終局へのプログラム La fin programmée de l'Union européenne LE MONDE | 23.05.05」 ()と、社会学者 Edgar Morinの「ノンの後に Les lendemains du non LE MONDE | 25.05.05」には二人の書き手にそれぞれ対立する、批准賛成者、反対者から激しい批判があびせられた。批准賛成を訴える、26日掲載のル・モンド社主ジャン=マリー・コロンバニの社説「ノンの幻想 Illusion du non, par Jean-Marie Colombani LE MONDE | 26.05.05」には、195件のコメントがついており、開票結果が分かった後にも、反対を支持する読者から皮肉たっぷりに嘲笑するコメントがつけられている。

寄稿する人が「コメントの受け付けはやめてくださいと」あらかじめいえるのか、外国の重要政治家の寄稿のばあいもコメントの原則が適用されるかどうかは分からない(たぶん適用されない)が、すくなくとも社説や論説を書いたり、外部から主観的な判断やそれこら導き出される主張を含む分析記事を寄稿したり、意見投稿をする人は、ル・モンドではこうした形で寄せられる即座の読者からの批判に耐える度量がなければいけないことになる。コメント欄内で著者も反論もできると思うが、まあ、反論する人はいないだろう。

このコメント欄ができてから、ル・モンドの社説や投稿を読むときの手間が増えたが、逆に、思いがけない方向からの批判を目にしたり、自分の考えがひとりの考えでないことを知るなどすると、記事を読んだあとに考える仕方がより立体的になった。リベラシオンル・モンドにも前から、記事とは別に、フォーラムがあり、そこで一定の議論はできたが、このコメント欄だと記事に連動して、すぐさまにいろいろな意見を読むことができる。これは悪くない。

しかし、コメントが予約講読者だけに限られているとはいえ、コメントする側にも一定の節制がないと成り立たない制度だろう。これがどのように機能していくか観察していきたい。朝日新聞が、自分のところの社説にこの制度を導入したとき、主題によっては、コメント欄がどうなるか、はてな内部で近隣の日記のコメント欄でときどきおきることを思い出しながら想像すると、なかなかスリリングなものがある。

§12 公共圏の一部としてのブロゴスフィアの発見(2005年4、5月)

§5.で紹介したル・モンドの「Les blogs adolescents, espaces d'affirmation de soi et de découverte de l'autre 青少年のブログ−−自己確認、そして他者の発見の場」と題する3月のインタビュー記事の中で、インタビューに答える専門家は、Skyblogを中心とする青少年のブログと大人のブログの間に大きな違いがあるとして、次のように指摘する。

自我が強く、流動的で希薄なネットワーク形成を好む大人とは違って、青少年は、ブログを通して、お互いの結びつきのもっと深い小さなコミュニティを作る傾向にある。大分部のケースにおいて、ブログで見あったりコメントをやりとりする仲間は、現実の生活におちてももともと知り合いどうしであり、ブログは、ネット上でその結びつきを深め、新たに体験する場所、なにかを分かち合いたい、お互いに認められ合いたいという欲求を満足させる場所になっている。事件になった教師の中傷の場合も、本人たちは、それが公の場所でなされていてどこからでも見られるという意識がなく、自分たちの狭い世界でのおしゃべりにしか思っていなかったろう。彼らにとってブログはこれまでのチャット、SMSの延長上にしか過ぎない。

要するに、彼らのブログは、SNSに限りなく近いものである。そしてこれが前述(§6)したようなもともとの Skyblogの基本構想、戦略に一致していることはこれ以上詳述必要はないだろう。そしてこのようなブログの機能は、後発のホスティング・サーヴィスでも広がっている(例えば現在ブログ数第2位の TchatcheBlog)。3月の事件でフランス人に発見されたブログとはそうしたものだった。

そして、もう一方で、情報や意見の発信の場としてのブログが発見されたのが、それに続く4月、5月の時期である。それは欧州憲法批准条約をめぐる賛成派、反対派の議論の過熱という社会現象の中で起った。

もちろん、こうしたブログは、アメリカや日本と同じく、フランスのブログの出発時から一つの伝統的な流れである。それは着々と発展してきた。ル・モンドのようなメディアのブログ・ホスティング開始や、2004年6月にブログ数ランキング11位になっている hautetfort.com (haut et fort = 声高らかに)というようなホスティング・サービスは、その線上に位置づけられる。

また2004-2005年には政治家のブログ開設が話題にもなった。2004年2月は、社会党の前政権時代に経済・財務相+産業相という「スーパー大臣職」を務めた ドミニク・ストロス=カンが、blogdsk.comを開設した。また、1995年の選挙でシラクが大統領になったときにその下で最初の首相を務めたアラン・ジュペが2004年9月に al1jup.comドメイン名で密かにブログを開始していることが、数ヶ月たってからマスコミで話題になった*1。またミッテラン時代の文化大臣として有名なジャック・ラングも、jacklang.net で先月5月19日にブログを開始した。こうしたビッグネームでなくても、地方自治体の議員レベルでブログが少しづつ増えてきており、また党にかかわらず地方支部レベルでブログを開設する例もでてきた。

そしてシュロス=カンのブログに典型的なように、政治家、政治活動家のブログは今年にはいるとほとんど欧州憲法条約批准国民投票をめぐる賛成と反対の立場表明、論争の場となってきた。

一般市民のブログで、政治に関心のある話題を書いていた人たちのものは、4月、5月になると、ほとんどこの議論に専用のものになったものも多い。そしてまた、そうした議論の過熱の中で、新たにブログを開設して論戦に参加していった人も多かった。

考えてみれば、基本的対象は一つのテキスト、そしてウィとノンがはっきりしていて意見がまっこうから対立している。そして投票の日付がきまっており、一日一日と状況が緊迫していき、その中で、政治家たちの発言によって、毎日新しい要素がどんどんと付け加わる。これ以上のブログ向きの題材はない。

人々は、憲法条約案を−−時に断片的に−−引用し、その解釈や、是非を論じ、あれこれの政治家や知識人の立場を引いては、自己の賛成や反対の立場を表明し、コメント欄で議論したりした。大新聞や雑誌では、反対派の立場は弱かったから、ネット一般は自分たちの反対論を広める重要な手段となった。賛成派も反対派もマスコミでとりあげられない小さな情報をも精査して、取り上げ交換し、一歩に二歩も踏み込んだ意見を表明した。個人的なものだけでなく、複数の人間で運営されるものも出てきた。また賛成・反対の論争を禁じ、客観的な資料提示に徹しようというのもでてきた。

ブログでこうした熱狂は、去年のアメリカ大統領選挙で起きたことによく似ている。そして、フランス人はアメリカ人に半年遅れて、こうして、ブログで論戦を戦わせることの面白さと、それが持つ力を発見した。

そして、5月も末になり、投票日が迫ったころ、マスコミもそのことに気がついたらしい。国民投票をめぐるブログの過熱については、リベラシオンは投票日前日の5月28日に「国民投票 ネットでブロガーたちは熱狂 Référendum Sur la toile, les blogueurs déchaînés」、ル・モンドは投票日翌日の5月30日に前哨に立つウェッブ Le Web aux avant-postesといった記事でそれぞれ報道した。

そして投票が終ったあと、特に、批准否定派からマスコミへの不信の声があがるなか、また論争の際に果たした、ネットとりわけブログの役割の大きさが認識されるなか、ブログが従来のマスメディアと並んで、言論における公共圏=パブリックスペースの地位を得ていることに人々は気づきはじめた。

すでに、ル・モンドで5月24日書かれた分析記事「メディアに対抗するブロゴスフィア La blogosphère contre les médias」では、第4の権力たるマスメディアへの対抗メディアとしてのブロゴスフィア*2の勃興についての世界的な傾向が語らている。そして投票後のショックのあと、ジャーナリストもまきこみながら、マスメディアとブロゴスフィアの関係について、大きな変化への希望や、マスメディア側からの防衛反応などが交錯しながら、議論がはじまっている。

この対抗関係は相互繰り込みをも生んだ。

一つの例は、上で(§11)述べたように、ル・モンドという新聞がブログに接近し、ブログを新聞のネット版の構成要素として、論説欄にさえブログのコメント欄のような機能がついたことである。そのコメント欄に、自分のブログへのURLを貼り付けていくものさえ現われている。

一方、ブログの中でも情報源や論調がしっかりしたものは、小さな新聞なみの地位を獲得しはじめた。一例をあげれば、憲法批准問題を議論するブログとして去年の11月に現れたpublius.fr は、
賛成派、反対派も含めた−−ただし賛成派が優勢だったように思う−−複数の匿名のブロガによって運営され、冷静な議論とソースの選択と扱いの確かさによって、確実な知的権威を獲得した。ブログ全体の賛成反対の方針はなく、その代わり署名つきで書く各ブロガは旗幟を鮮明するというのがルールである。匿名とはいえ、事情通にはアイデンティティはわかっており、欧州議会議員への独自インタヴューを掲載するなどの取材活動も行っている。そこまでくると、記事にある署名が、単にファーストネーム(特に風変わりな)だけか、フルネームになっているかの違いだけで、伝統的なメディアと変わらぬ性格さえもつ。そして今やpublius.frの記事はフランスのGoogle News で拾われるようになっている。

人が、時事問題についてブログに情報を求める大きな動機は、マスメディアにない情報、あってもクローズアップされていない情報、あるいはマスメディアでは見えないような情報と情報の結びつきを探し、新たな一つの解釈を知ったり、あるいは自分が抱いた解釈を確認しにするためだ。それが対抗メディアといわれるゆえんでもある。

またもう一方、ブログが人々に魅力を持ったもう一つの大きな理由は、フランスではとくに、コメント欄での議論の可能性であった思われる。フランス人の議論好きについては今さら言う必要もないだろう。タイミングと場所の雰囲気さえあれば、知らない人同志でもすぐに議論に発展し、人はそれに楽しみを覚える。ブログのコメント欄が、そうした意見交換、議論への欲求を満たす場所となった。

ブログのコメント欄での議論はストロス=カンのブログでは例えば、投票日の翌日、5月30日のエントリーには430件のコメントがついている。publius.frのつい最近、6月7日のエントリーには、231件のコメント。その大部分が、数行というようなものでなく、複数パラグラフにわたるもので、本文に向こうをはった段落構成や、本文より長いのもまれではない。議論の白熱したブログでは、こうした長文のコメント、コメンテーターどうしの議論はしばしばある。ブログの作者も、答えるのが面倒ならば、議論のために場所をかしてやっているくらいに思わないとつとまるものではない。

こうしたコメント欄での議論の可能性は、マスコミのネット情報が読者の前に冷たく立ちはだかるのと反対に、人々のコミュニケーションの新しい領域を作った。ここで参加者は、かつてサロンやクラブ、カフェーなどで論じるように、政治を論じている。情報を消費する大衆から論議する公衆への再転換の可能性の場、というまでには、現象は局地的であるが、しかしここではじめて、論議の機会の拡大を見出した人々は確実にいる。本文のレベルも議論の質はまちまちであるし、不和雷同もあれば、水掛け論の繰り返しもあるが、ともかくもブロゴスフィアの中でそのブログが占める位置に応じて、いろなレベルの議論が、あちらこちらで展開された。そうして、ブロゴスフィアが、そうした対話可能性という特質をもって、公共圏−−フランス語でいうならespace public −−の一部となっていること、そしてそれが現在の公共圏の構造に変化をもたらすだろうということに、この国民投票の一連の騒ぎを通じて、フランスでは多くのメディアの人間がたった今気がつき、そしてその変化をめぐる議論がはじまったばかりである。

§13.結び
あと1回ぶんだけ記事をつけます。

*1:政治家のブログといえば、活動や政策を宣伝する道具ときまっており、結局従来のホームページのスケジュール欄と、政治的意見を発表するページが合体したものくらいになりがちだ。その中で、アラン・ジュペのブログは、私事にわたることや私情、また政治的テーマについてもパーソナルなスタイルで書かれており、普通の人のブログらしてくてなかなか面白い。このブログは9月に始まっているが、このときジュペは汚職事件の裁判が進行中で、7月にUMP党首を辞め、また12月の裁判で14ヶ月の執行猶予付き懲役+1年間の被選挙権剥奪が決定し、議員職とボルドーの市長職を退くまでの、微妙な時期にあたっている。ジュペというと、頭は切れるが高慢で冷徹だというなイメージが一般にあるが、このブログのスタイルは意外だった。苦境や挫折は人間味を変えるのか(そういえばストロス=カンも、汚職事件で−−後の潔白となったが−−大臣職を辞任している)。だいたい al1jup で Alain Juppé と読ませるSkyblog的なのりがすごい。憲法条約批准問題で政治的議論が多くなったが、政治問題に関しても、内省的な迷いを見せながら書くようなところがある。フランスの政治家の文章で、死後に公開される日記でもない限りそんなものを読む機会はまずない。政治的には私の立場と相容れない人だが、ブログはそうした理由で好きで、時々読みにいった。5月29日の投票日に、どういう意見表明があるか見にいったら、「国民投票。人生で初めて投票ができない。苦悩。Referendum.Aujourd'hui, pour la première fois de ma vie d'homme, je ne peux pas voter. Souffrance.」とだけ書いてあり、被選挙権だけでなく懲役刑のほうで選挙権も停止されていることを知った。もっとも、ほんとうは刑務所にいるべきでブログなんかやっている場合じゃないというのが正論ではあるが。

*2:blogという語については、国の用語委員会の勧告でフランス語として bloc-notes という語が 「ネット上の、多くの場合個人的なサイトで、短い記事やメモを時系列的に提示し、通常は他のサイトへのリンクを伴うもの un site sur la Toile, souvent personnel, présentant en ordre chronologique de courts articles ou notes, généralement accompagnés de liens vers d'autres sites 」という定義のもとに提唱され、5月20日の官報ですでに発表されたのにもかかわらず、ル・モンドですら、平気でblogばかりでなく、「blogueur ブロガー」、「ブログする bloguer」という語を用いる記事を掲載し、blogosphère ブロゴスフィアなる概念まで用いられるようになっている。bloc-notes はこれらの派生語を生み出す力が弱。